森下泰輔個展 Taisuke Morishita Solo Show "K-POP"
森下泰輔展「K-POP」
7月11日(水)~21日(土)
15:00~20:00
17日火曜日休廊
レセプションパーティ 7月15日(土) 17:00~(Art Lab TOKYOで開催のパク・ヒョンス展との合同パーティとなります)
思考サンプルとしてサブカルチャーを用いるのに、今回、森下泰輔は日本のものではなくK-POPを援用する。日本のポピュラーカルチャーは日本人にはあまりに客観視できないためと、実際にK-POPがアメリカンポップからの連続線としてのポップ概念を内包していると思うからだ。資本主義や社会の動向をとらえアートとして位置づける森下の作業は一貫している。略歴:アートとしてバーコードを用いる。アメリカ、フランス、イタリアなど各国で発表。2006年資本主義の動きをゴキブリに見立てた個展「コックローチ」ニューヨーク、F.A.Museum。ヴェニスビエンナーレ関連企画「Poetry Bunker」。2010年遷都1300年祭公式展示「時空」平城宮跡など。
Morishita often uses Japanese subculture as a sample for the critical thinking, but this time he uses K-POP, instead of focusing on Japanese one. It is because Japanese popular culture does not seem very objective to Japanese people and also because he thinks that K-POP actually includes the concept of pop as a continuous line from American pop. Morishita's work is consistent to capture capitalism and social trends and analyze them in the context of art.
Biography: Morishita uses bar code as a symbol in the context of art and has presented his works in US, France, Italy and other cities. His representative works include “Cockroach” in which he likened the movement of capitalism to the ecology of cockroaches(solo, F.A.Museum, New York, 2006), participation in “Poetry Bunker”(Venice Biennale’s collateral event, 2001) and “Between time and space”(Celebrating the 1300 anniversary of Nara Heijo-kyo capital, Heijo Palace Site).
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なぜ、K-POPなのか
韓朝問題はアジアでもっともヴィヴィッドな問題だろう。2017年11月、5発の銃弾を受けた北朝鮮の兵士が無理に板門店を越えたのち収容された病院で語ったのは「韓国の歌(K-POP)が聞きたい」であった。とりわけ「Gee」が気に入っていたという。現在では朝鮮半島の雪解けムードで政略放送を中止しているが、韓国はスピーカーから自由の素晴らしさと社会主義のまずさを繰り返し放送していたのだが、とりわけ北を刺激したのはK-POPの放送であった。
ポップ文化の小林秀雄ともいわれる近田春夫は、「考えるヒット」(週刊文春 2010 11/11号)のなかで、少女時代「Gee」を聞いたとき、「あ、今、日本の商業音楽が韓国に抜かれようとしている !」との感想を持ったが、ポップアートがモチーフとしていたのはそもそも「思想・哲学としての」ロック音楽だった。ブリティッシュポップアートの先駆者ともいわれるリチャード・ハミルトンも《Swinging London 67》(1968-69)でマリファナ所持で逮捕されるローリング・ストーンズのミック・ジャガーを描いた。ピーター・ブレイクはビートルズのサージェント・ペッパーズのジャケットワークをしたし、ニューヨークでアンディ・ウォーホルは《エルビス》をシルクスクリーン転写した。
日本では1962年安井かずみが「みナみカズみ」名で「レモンのキッス」の詩を書いた時から《ポップ》なる概念が生じザ・ピーナッツらを経て和製ポップスに引き継がれたがK-POPはJ-POPに遅れて21世紀に成立した。しかしながらそのドライブ感、キラキラ輝く感触は、むしろアメリカン・ポップの正統な継承者にも見えるほどだ。今回森下がモチーフとしたPSYはあまりにも有名なのでその解説は省くが、Kim Hyunaは沖縄ロケでホットパンツで腰を振りながら歌唱する「バブル・ポップ!」(2011)を例にとるまでもなくもっともはじけているK-POPシンガーのひとりだろう。2012年の「Ice cream」では「私はあなたにアイスクリームのように溶ける」と歌った。ほかにLee Hyoriは、古き良きアメリカをシミュレーションしつつもアジア言語に翻訳し血肉化し得たようだ。Lee Hiは10代のときオーディションでデビューした。「1,2,3,4」(2012)はレトロ・ソウルといわれるが、まるで60年代のブラックミュージック、とりわけモータウンを黄色い感性で刷新して見せた。
しかしながら森下は現在ゆうに1000人を超えるであろう中から任意抽出されたこれらK-POPのスターにバーコードを付加しその構成上の構図も20世紀美術のひとつの結論であったグリッド(ロザリンド・クラウスには「グリッド論『オリジナリティと反復 』」がある)に収れんさせ、再現性の絵画(フィギュラティーフ)に記号的世界をオーバーラップする。その記号はもちろん資本主義の象徴記号として用いられている。
さらに朝鮮・韓半島が70年ぶりの融和に向かうこの時期、それはポップ文化と民主主義に関して微妙で皮肉な調和の方向に向いている。
「K-POPをただの流行り歌とは思いません。私はこれらをメタレベルから純政治的な主題として試みてみました。まさに半島サブカルチャーを輸入することによって日本との距離感の中で新たな時代のアートの可能性を探ってみたかったのです。」森下泰輔
丁度、脱北兵士の神経を支配したようにK-POPにはデモクラシーのにおいが強烈にある。あえて日本から見たK-POPを用いることで、岡倉天心が「文化の最後の浜辺」といった非流動的な場、タイムカプセル日本に別の位相から一石を投じようとしているのである。あくまでも思考実験の帰納は作家の母国・日本に向いているのだ。
(美術評論家 水野英彦)
作品「K-POP」の背景について
かつて脱北してきた”北”の兵士が開口一番「K-POPが聴きたい!」と言ったというエピソードがある。それに深い興味を覚えた森下は、あらためてK-POPに内在する政治性に想いをめぐらせたという。 むろんK-POPは、文字通りポップカルチャーに属するものであり、今日では優れたエンターテインメントの様相を呈しているが、そこに単なるサブカルチャー以上のポップ哲学や民主主義の思想を森下は鋭く嗅ぎ取ってもいる。それがあるからこそ、かの北の兵士をして、「K-POPが聴きたい」といわしめたのだと彼は分析する。 ただ当然のことながら、K-POPは民主主義的な側面を持つ一方で、資本主義の産物でもあり、その支配から逃れられない宿命をも負っている。その両義性ゆえに、彼はK-POPのイメージにバーコードを付加する。今日の世界を分析するのに有効なツールであると認識した証として。それが彼のアート行為なのである。
さて、そのK-POPが鳴り響く半島は、現在明らかに歴史のターニングポイントを迎えており、激動の渦の中にいる。これは、ひとり、韓/朝鮮半島の局地性のみにとどまらず、アジアの、ひいてはグローバル化が進行している今日においては、世界の勢力地図にも大いなる影響を与えていくうねりであることは間違いない。 それを森下は、すぐお隣の日本から眺めているわけだが、振り返ってみればこの半島と日本列島との交流の歴史は古代にまでさかのぼる。せまい海峡を挟んで連綿と続いてきた2つの地点の交流。それはさまざまな諸相を示しながら―時には不幸にも友好的ではない関係性の中での交流もふくめて―この極東の地で文化的に密接に絡み合ってきたのだといえる。 その来し方を背後に深く認識しながら現在のビビッドな半島情勢を眺めるとき、未来に向けた2地点間の交流がいかなるものになっていくのか、K-POPというモノサシをからめつつ、彼は見据えていきたいと望んでいるのだ。
(本展ディレクター 菅間圭子)