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Uni Aoi Solo Exihibition Madogiwa no Gumi

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あおいうに個展「窓ぎわのグミ」
2022/10/18(火)~30(日)
24日(月)休廊
15:00~20:00 最終日~18:00

あおいうに1年ぶりの個展。新作を中心に40点を展示いたします。どうぞお越しくださいませ。

Art Lab Tokyoは、本展を持ちまして、青山に移転いたしますので、秋葉原最後の展示となります。

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あおい うに
あおいうに個展「窓ぎわのグミ」ご挨拶
 
今回、あおいうに1年ぶりとなる個展「窓ぎわのグミ」を開催いたします。
 
手前の部屋では主に具象絵画やキャラクターアートを、奥の部屋では主に抽象絵画を展示しております。
半抽象・半具象のようなものもあり迷いましたが、このように配置しました。
東京新聞/中日新聞に掲載していただいた安倍晋三元首相の肖像は、会場の入り口にございます。
 
Art Lab TOKYOは移転が決まっており、この場所での展示は「窓ぎわのグミ」が最後になります。
もう取り壊すので、壁画も施しました。
壁画は、具象絵画とはぶつかってしまうので、手前の部屋では描かず、入口と奥の部屋のみに描きました。
展示作品の雰囲気を壊さず、さらに活かすイメージで描きあげました。
展示作品がなくとも展示空間となり得る強度がある壁画、という手応えがあります。
 
個展タイトルの「窓ぎわのグミ」とは、私の師匠が名付けた、私の絵画における癖のことです。
具体的には、キャンバスの端にちょんっと絵の具のタッチを乗せがちなことです。
この癖を行う大きな理由は、それで画面のバランスがとれるからです。
私の絵画は、大きく開いた空間が特徴的ですが、抜けの空間が大きすぎると、そのまま視線が外へ流れていってしまいます。
それを防ぐための、「窓ぎわのグミ」なのです。
DM掲載作《やさしさに喩えることも》は、「窓ぎわのグミ」が3つもあり、メインビジュアルに相応しいと言えます。
 
「窓ぎわのグミ」は、故意にやっているわけではなく、自然と出てくる癖です。
なので、「グミ」が無い作品も中にはありますが、ご了承ください。
 
「ここがグミかな?」「これはグミなのかな?」と、考えながらご高覧いただけたら幸いです!
 
それでは、お楽しみください。
  
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「グリーンバーグに直結されるとしよう。」あおいうにの絵画。
 
森下泰輔(Art Lab Tokyoディレクター/美術評論家/現代美術家)
 
「窓ぎわのグミ」の「窓」とは、キャンバスのことだ。西欧では絵画とは「世界を切り取る窓である」と400年以前よりいわれてきた。あおいうにのいう「グミ」とは、ドイツ発祥の菓子でもグミ科グミ属の植物でもなく、キャンバスの端にちょこっと塗られた絵具の痕跡のことだ。あおいがこれを絵のバランスを取るために用いているのだとすれば、問題は「絵画論」にある。
 
ここで即座に思い浮かぶのはクレメント・グリーンバーグだ。この批評家はマネ以降の絵画の変遷(前衛史)を理論的に解明してきたが、実際にはモダンが終焉する1960年を境として、むしろ批判的に継承され、「絵画の死」によりフリードらの「芸術の客体化」以降、シアトリカルな拡張を始めた現代美術総体によって半ば否定されてもいる。
 
だが、あおいうにの作品が「絵画」の追求である以上、再度、グリーンバーグ理論に接続して解釈する必要がある。グリーンバーグの三つの言葉。

「伸張され釘や鋲で留められたキャンバスは、すでに絵画として存在する。」
「メディウム、色彩、サイズ、形体、均整――支持体のサイズや形体をも含めて――の正確 な選択が、その結果の成功を左右するのであり、これらの選択は、唯一インスピレーション だけに頼らねばならないのである。」(抽象表現主義以降 クレメント・グリーンバーグTitle: After Abstract Expressionism in New York Painting and Sculpture: 1940-1970, ed. by Henry Geldzahler. Author: Clement Greenberg © 1993 Clement Greenberg)
「セザンヌは、ドローイングと構成をキャンバスの矩形の形体により明確に合わせるために、迫真性と正確さを犠牲にしたのだった。」(The New Art: A Critical Anthology, ed. by Gregory Battocock. Author: Clement Greenberg © 1966 Clemnent Greenberg )
 
支持体としてのキャンバス、物質としての絵具を限りなく偽りなく可能な限りイル―ジョンを排除していった先に「物体」としてのキャンバス絵画があり、キャンバスそのものに絵具が乗っていることの明確な意識の醸成が生じるという点では、モダンの最終段階にある絵画とあおいうにの作品は類似している(*例えばカラーフィールド)。あおいうにが、筆者の主張する「ポスト・ペインタリー・ペインティング」(*例えばリヒター)の方向ではなく、絵画の復興、絵画への再接続を真摯に追求していることはキャンバスに乗った絵具にキャンバスの端としての認識上の「グミ」を「´(ダッシュ)」していることで理解できる。
 
また、グリーンバーグは、デ・クーニングの半具象を明確に抽象と捉えた。形態よりもブラッシングに力点があるからなのだが、同義にあおいうにの「具象」も「抽象」と捉えうる。本展でもあおいは具象・抽象の両ルームを用意したが、それはグリーンバーグ的意味論における「抽象」と解釈出来得るのである。
本展の隠れたもうひとつの主題は「旧統一教会2世」問題からあおいの潜在意識に及ぼした影響の絵画的表出を見ることでもある。
 
 

 

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